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増田のまちなみと内蔵

横手市増田町は、横手盆地の南東部に位置し、雄物川支流の成瀬川と皆瀬川の合流点に立地し、増田は物資の集散地としてたいへん賑わいました。 増田の商人は共同で増田銀行(現在の北都銀行の前身)を創設させたほか、増田水力電気会社(発電)や増田製陶会社(陶器)、長坂商店(味噌醤油)などの会社も設立され商業はさらに活発化しました。 その舞台となったのが現在の中町、七日町商店街通り(中七日通り)です。当時の繁栄を今に伝える伝統的な町並みや内蔵が多く残り、平成25年12月27日には文化的な価値も非常に高いとの評価を受け、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。 まちなみ景観と建築様式や技術を維持しながら後世へ継承していく取り組みが行われています。

場 所 : 重要伝統的建造物群保存地区

ケダニ地蔵

阿気本村集落の西にある地蔵公園には等身をはるかに越す「ケダニ地蔵」が祀られています。ツツガ虫病で死亡した人たちを弔い、ツツガ虫病が無くなることを祈願して雄物川の川舟船頭をしていた手賀善兵衛(1853年-1916年)によって立てられたもので、毎年7月の祭典には奉納相撲で賑わっています。

場 所 : ケダニ地蔵

厄神様

わら人形の厄神様は集落境に立って、疫病や悪神が集落に入ってこないように見張っていると伝えられています。田植えも終わった6月初旬、藤巻集落の厄神さん(鹿嶋様)を立て替える厄神立てが行われます。毎年新たにつくられた約100キロの藁人形を若者達が交替で背負い、集落を練り歩いた後、厄神様を立て替え無病息災を祈願します。

場 所 : 厄神様

猩々の道標

十文字駅前交差点はその昔松林を主とした野原でした。人々は道に迷い、これが狐か狸のしわざとされました。そのため、増田の通覚寺14世天瑞師が「猩々の左は湯沢 右よこて うしろはます田 まえはあさ舞」という言葉を猩々の酒がめに刻み、方角と地名が分かる道標としました。現在、道標は十字館歴史資料展示室に展示されています。JR十文字駅前にレプリカ像が、駅前交差点には記念碑が建てられています。

場 所 : 猩々の道標

ヴィクトル・スタルヒンの墓

元巨人軍の大投手、ヴィクトル・スタルヒンが妻とともにこの地に永眠しています。野球ボール形の石が乗った風変わりな墓は、平成元年33回忌の命日に娘のナターシャさんが建立したものです。

場 所 : ヴィクトル・スタルヒンの墓

首塚神社

坂上田村麻呂が東夷征討の際、戦士者の首を埋葬したことから首塚と名づけられました。その後八幡太郎義家が後三年の合戦で戦死した敵味方の首級890をこの塚に埋葬したと伝えられています。社殿にはこの塚から出土した人頭の石が安置され、これを拝むと頭の諸々の病や、学力向上に霊験あらたかな神社として信仰されています。

場 所 : 首塚神社

沼柵跡

平安時代末に起こった史上名高い「後三年の合戦(役)」で、清原家衡が源義家を敗った「沼の柵」と伝えられる場所です。沼・川・湿地が周囲を取り囲み、攻める者を拒み続けた天然の要塞は、まさに難攻不落の水城です。その規模は約400ヘクタールと云われており、周辺の地形はその歴史を物語っています

場 所 : 沼柵跡

御役屋門

藩政時代、寛政7年(1795)秋田六郡に郡方が置かれその庁舎が「御役屋」と称されました。浅舞の御役屋に着任したは郡奉行・今泉三右衛門が寛政11年(1799)に御役屋を改築、現存する門はこの時の建造とされています。明治元年に焼失し門だけが残りました。元は東向きだった門が南向きに移築され現在に至っています。

場 所 : 御役屋門

赤レンガ蔵

赤レンガ蔵は県内のレンガ造りの建築物として有名な、旧秋田銀行本店(現在の赤レンガ郷土館・国重文)と同時期の建設物です。土蔵造2階建、鉄板葺、建築面積67平方m。明治18年の建築で、明治後期に改造しています。

場 所 : 赤レンガ蔵

旧日新館

旧日新館は、明治35年(1902)小坂亀松が旧制横手中学校(現在の横手高校)の英語教師として赴任してきたアメリカ人チャールス・C・チャンプリンの住居として建てたもので、大工の棟梁は藤村初五郎と伝えられています。

場 所 : 旧日新館

筏の大杉

山内筏地区の比叡山神社の境内にあり、樹高43m、根幹の周囲が12m、樹齢は約千年といわれています。全県一の巨木と認定されています。県指定、天然記念物。

場 所 : 筏の大杉

浅舞のケヤキ

高さ約25メートルの大樹です。冬には「槻の木光のファンタジー」が開催され5千個もの電球が幻想的に飾り付けられます。

場 所 : 浅舞のケヤキ

琵琶沼

平鹿町には数多くの湧き水が点在しています。その中で浅舞の中心部にある琵琶沼は数多くの湧き水を源としています。菅江真澄は「雪の出羽路」の中で琵琶清水(琵琶沼)について触れています。それによると沼の形がちょうど琵琶のようであることから琵琶清水と名が付いたようです。またその当時(1825年)は藤沼と呼ばれていたようです。

場 所 : 琵琶沼

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