一般社団法人 横手市観光推進機構© 一般社団法人 横手市観光推進機構

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横手公園

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    概要

    公園内は春は桜、6月中旬から7月中旬にはつつじが咲き乱れます。敷地内には16世紀半ばに小野寺氏によって築かれた横手城跡があり、二の丸跡に建てた四層の天守閣様式の展望台は資料館となっています。展望台の最上階からは市街地などが一望できます。特に鳥海山の眺望がすばらしいです。

    日程

    横手城展望台利用案内
    開館期間:4月1日~11月30日
    開館時間:午前9時~午後4時30分
    但し2月15日・16日「かまくら」期間は臨時開館

    内容

    横手城跡

    横手城はその昔朝倉城といい天文23年(1554)頃、小野寺輝道によって築かれました。城の普請は、石畳を用いないで土居削崖とし土くずれを防ぐ土止めと、敵が這い登ることができないように韮(にら)を植えた築城だったので韮城の名があり、あとで俗に横手城といわれるようになりました。

    城主小野寺義道は関ヶ原の合戦後、徳川氏に石田方とみられ、慶長6年(1601)、所領没収石見国へ流されました。翌7年、水戸から秋田へ左遷された佐竹義宣は、久保田城を本城として築き、朝倉城を支城として築城替えをし城代(伊達氏)をおきました。朝倉城下に家臣を配置するために屋敷町を割り、町内をつくり攻守に備え、横手川を外濠としました。

    慶応4年(1868)戊辰の役には、仙台庄内の軍勢が朝倉城に迫り防戦しましたが、砲火によって城は炎上し、明治元年8月11日の夕暮、ついに本丸、二の丸とも落城し、城士21名は壮烈な討死をとげました。

    現在は二の丸跡に三層の天守閣様式の展望台が立ち内部は郷土資料館となっています。武者溜から展望台にかけての広場は、春の桜、秋は紅葉によって彩られます。

    秋田神社

    本丸址に祀られている秋田神社は明治12年(1879)に社殿を建立し、藩祖・佐竹義宣公を祀る千秋公園の秋田神社から12月2日遷宮、内町(屋敷町)の鎮守として祀ったものです。

    秋田神社

    牛沼

    横手城跡から少し下りると牛沼があります。太鼓橋があり散歩にちょうどよい場所です。

    牛沼

    平和観音

    公園城址の北、観音台の丘陵に横手市遺族会、市社会福祉協議会、公園審議会、市仏教会、それに一般市民の協力によって戦没者の慰霊と平和の祈りをこめて、平和観音像が建立されました。
    観音像は、花崗岩、岡崎市の石田観仙氏の作、蓮座とも4.78m、自然岩の台座2.37mで、昭和40年6月30日起工、11月15日完成。公園の一名所となっています。

    平和観音

    本多上野介正純墓碑

    徳川幕府創業の権臣だった本多上野介正純、出羽守正勝父子は、秀忠暗殺の企てがあると陥れられ佐竹氏へ御預りになりました。佐竹氏は父子を横手城代須田美濃守盛秀に預け、上野介父子は横手城三の丸の居館で悲嘆の生活を送りました。
    正勝は寛永7年(1630)37歳で、正純は寛永14年(1637)73歳で病没。居館の近くの山裾に一基の墓碑が建っています。父子にちなみ上野台(現城南町)の地名がつけられています。

    本多上野介正純墓碑

    滝ノ沢霊場

    滝の沢はその昔桜の名所として知られそこにある滝は相当古くからあり、真夏でも肌寒さを覚え、三十三観音が祀られています。
    また、古くは佐竹義宣公の側室であった岩瀬御台様が不縁となり、横手の須田美濃守に預けられたときから、この地に茶室を建て、塩釜桜を愛でられました。御台は横手で30余年の淋しい歳月の慰めとした伝えられています。
    この桜と滝の名所を復元しようと昭和10年町の有志が滝の辺りに大慈大悲の三十三観音を建立しました。薬師如来及び大滝不動明王も奉造され、平成2年にも市有志により補修を経ていまなお苔むす巌に安置されています。

    滝ノ沢霊場

    料金・費用

    入館料: 4館共通入場券100円
    発行当日に限り後三年の役金沢資料館・石坂洋次郎文学記念館・横手城展望台・かまくら館ファンタジックギャラリーがすべて100円でご覧いただけます。

    会場・アクセス

    お問い合わせ

    横手城展望台
    TEL 0182-32-1096

    横手市横手地域課
    TEL 0182-32-2701